Yasushi Okano Photography
岡野康史の写真のあれこれ

Photo Journal

日々の光景に言葉をそえて。

不定期フォトブログ

Posts in Nagi & Kei
最初の記憶について
 

3歳の彼らに、昨日や先月の出来事などを聞けば、感じた事やその時の状況を脳みそをフル稼働させて彼らなりに色々と教えてくれる。

大人になっても、2年に1回くらいは「人生最初の思い出は?」みたいな事を聞かれることがある(自分だけ?)けど、その記憶は「実は写真や家族の会話から生成されたものである可能性が高い」といった記事を最近どこかで読んだ。

そうだとしても、そうであるからこそ、彼らの記憶を拡張したり 、補完したりするものとして写真が機能するのなら、楽しかった事も嫌だった事も、隔たりなく包み隠さずシャッターを切ろうと、この写真の現像が上がってきた時にふと思った。

ちなみに僕の最初の記憶はというと、七五三の服のボタンを「自分でかける」と言い張り、掛け違えたままお宮に出かけたということになっている。

in full bloom

「桜の見頃はあっという間に過ぎてゆく」と、そこかしこから聞こえてくる今日この頃ですが、フィルムで撮って現像出して補正してってやっていると、いつの間にか初夏になっているのが僕のいつものパターンです。

ということで、この写真は昨春にタイミングを逃してお蔵入りしていたものです。毎年同じ場所でお花見をしていますが、去年の桜吹雪は本当にすごかった。

ちなみに今年は、突然目の前を野生のキジが走っていました!きびだんごを持ち合わせていなかったのが残念ですが、バッチリ撮れたはず。また忘れた頃に時間差でアップしようかなと思っています。

前ならえ

久々の更新です。頭の整理も兼ねて文をしたためます。

いろんなことにかまけて更新を怠っていました。。といってもフィルムの撮影枚数自体は相当増えているのです。

石川直樹さんの某写真学校にて自分の作品・作家性を見つめ直しているうちに、何をどう写真として残してゆくのが良いものか、分からなくなってしまいました。

ただただ写欲だけは旺盛なのでやり場のない撮影済みのフィルムが山積しています。

最近では、結局自分が一番興味の向いたことや瞬間に目を向けてシャッターを切る。ただそれだけが自分の写真が自分のものである所以かと思うようになりました。

生みの苦しみは多少あれど自然体で楽しくなくては意味がないのかなと。

有名な作品に「前ならえ」「右ならえ」したり、逆にそっぽを向いたりするのではなく、いろんなものを見ていろんな話を聞いて、自分にとっての「前」に向いてゆくのがシンプルでいいのかなと思っています。

 

そしてやはりご多分に漏れず、子供がいると親バカになってパシャパシャ撮ってしまうのです。

自由な行動をする我が子に「前ならえ」して学ぶことの多い冬でした。

Bye-Bye 2017

今年は静岡でお正月を迎えたところから始まりました。(今年の年末年始もまた来ています)

その時の写真を見返していると、息子達はいつの間にか大きくなり、できることも増え、表情も変わってきていることを実感します。

その時は気づけないけど、後で分かるというのはよくあること。

親子のことだけではなく、仕事も人間関係も食事も身の回りの物事も、全て今日の関わり方が明日につながり、一年後・五年後・十年後につながっていると考えると、今の一瞬一瞬を大切にしないとなぁと思うのです。

友人が昔「森山大道が言っていた」話として「未来ばかり見ていたり、過去の事ばかり見ていて、今を生きていないのはダメだ」みたいなことをしていたのを思い出した。酔っ払っていたし、昔のことなので出典や真意のほどはわからないけど、ずっと頭の片隅にある言葉。

来年は今を大切に生きながら、未来へ進んで行く年にしようと思っている年の瀬です。

良いお年を。

凪いだ景色 | Calm Seascape

双子の息子達「凪」と「景」の名前は、瀬戸内海のちょうどこんな姿をイメージしてつけました。

それを本人達に見せられて何とも不思議な気分です。

親が好きな場所・風景なので度々連れて来られるので、彼らにとっては極めて普通な眺めになっていくだろうけど、大人になってそれぞれの道に進んだとき、ふとこの風景のことや相方のこと、ついでに両親のことも思い出してもらえるといいなと思うのです。